失語症学の発展に向けて

言語聴覚士に役立つ書籍や考え方を紹介していきます

史上最強の哲学入門 〜呼称訓練について考える〜

 

哲学をこれから学んでいこうという人にオススメの本です。

本書は、様々な哲学者の考え方を以下の4つのテーマに分けて説明しています。

  1. 真理の「真理」
  2. 国家の「真理」
  3. 神様の「真理」
  4. 存在の「真理」

今回は、『存在の「真理」』で登場するソシュールの考え方を紹介していき、失語症訓練の一つである呼称訓練について考えていきたいと思います。

 

呼称訓練は、リンゴの絵を見せて「これは何ですか?」と質問し、患者に答えてもらうう方法です。その訓練の背景には、「言語とはモノに貼り付けられたラベルのようなもの」と考え方があると思います。赤くて丸いものに「リンゴ」というラベルを貼り付けてそれを答えてもらっているようなものです。

 

しかし、スイスの言語学者であるソシュールは、「言語とは、差異のシステムである」と考えました。もう少しわかりやすくいうと「言語とは、何かを何かと区別するためにある」ということです。

 

例えば、河原に石が沢山転がっているとき、大きさや形が全然違うものを全て「いし」と呼びます。一方、果物屋でリンゴ、みかん、梨がある場合、「くだもの」という一括りにして呼ぶのではなく、それぞれの名前(リンゴ、みかん、梨)を呼ぶと思います。そこには、区別する価値があるかどうかによって違いが生じます。

 

また、石はどんな状況でも「いし」とは限りません。理科の授業中なら「かこうがん(花崗岩)」「げんぶがん(玄武岩)」のように専門的な言葉を使うかもしれないし、アメリカだと「stone(ストーン)」と英語で言うことも考えられます。このように文脈や背景の違いにより名称が変化するのです。

 

ここで呼称訓練について考えてみると、リンゴしか描かれていない絵カードでは文脈や背景が存在しません。厳密にいうと、「失語症のリハビリをしていて一般的な名称を答えないといけないという文脈」はありますが、その文脈だけで訓練をしていても日常生活で使う言語のリハビリにはなっていないように思います。

 

意味性認知症のような側頭葉前方の萎縮により意味記憶が低下し、純粋に名称を忘れている場合は絵と名称を結びつける作業(呼称訓練)が有効かもしれませんが、一般的な失語症の場合は、記憶自体は残存しているので、ソシュールが考える言語の本質的な部分のアプローチが必要ではないかと考えています。