失語症学の発展に向けて

言語聴覚士に役立つ書籍や考え方を紹介していきます

失語症のリハビリ教材を配信します ことば本舗

言語聴覚士として働く中で、リハビリに使う教材をどうするのかというのが悩みの1つになっていました。

ウェブ上では様々な教材を提供しているサイトがあり、リハビリする上で非常に助かっています。

しかし、1つのサイトで全て完結するようなものは私の探す限りありませんでした。

計算問題ならこのサイト、書字の練習プリントならこのサイトなどいろいろなサイトを見る必要がありました。

 

そこで私は失語症のリハビリ教材を提供する「ことば本舗」というホームページを立ち上げました。

 

まだ立ち上げて間もないため教材の数は少ないですが、徐々に数を増やしていこうと考えています。

 

こういう教材が欲しいなどリクエストがあればコメントお待ちしています。

 

たくさんの方に使っていただけると幸いです。

 

kotobahonpo.com

失語症の理解障害を考える

失語症の理解障害は、どういうメカニズムなのでしょうか?

前回、失語症は継時的処理の障害という話をしました。理解障害も同様です。

情報処理が追いつかずに理解できないのが失語症の理解障害です。

単語だと理解できても文になると理解できないのもそのためです。

 

私は学生時代の病院実習で、聴覚的理解の訓練として、6枚の絵を見せて2つや3つを同時に聞かせて選択してもらう方法をしていました。

その時に、実習先の先生にこのように指摘されました。

「絵を提示したまま聞かせると1つずつ目で追ってしまって純粋に聞いてもらっている間は絵を隠して、聴き終わってから絵を見せて選択してもらった方がいい」

その時は、何の疑いもなく納得してしまいましたが、果たしてその方法が正しいのでしょうか?

失語症の理解障害を記憶障害と捉えるとその方法が正しいかもしれません。しかし、情報処理の問題であるならば、隠して聞かせるのは難易度が高すぎます。

 

私の担当している失語症の方に上記のような絵を見せたまま複数の単語を選択してもらう課題をしていますが、1つだけの時は誤りなくスムーズに答えられているのに、選択する数が増えると途端に答えられなくなります。

しかも、その後1つだけ提示して答えてもらおうとするとそれもできないことが多いです。先ほどまで躊躇なく答えられていた課題ができなくなっているのです。

この現象は記憶障害だけでは説明できません。なぜそのようなことが起きるとかというと情報処理が追いつかずフリーズしてしまうからです。一旦時間をおいて同じ課題をするとまたできるようになります。

 

日常会話は理解できるのに課題の指示は理解できないのも情報処理の影響が考えられます。

日常会話のやり取りはパターン化しており処理を行う必要はあまりありません。しかし、課題の指示は普段聞き慣れない言葉で全てを正確に捉えなければならず処理する情報が多くなります。一度処理が追いつかずフリーズしてしまうと、その後いくら繰り返し聞かせても処理できないので理解できません。また、一度誤った情報に正しい情報を上書きするのにも情報処理が必要です。

 

単語は理解できるのに文章が理解できないのは、一見聴覚的把持(記憶)か意味障害の問題のように感じます。しかし、理解できることもあれば理解できないこともあるのは、記憶や意味障害では説明しづらいです。処理が追いつくから理解できる、処理が追いつかないから理解できない。そのように考えると訓練内容も変わってくるでしょう。

 

 

失語症は言語の障害か?

失語症は言語野の損傷により生じるものです。一般的に左脳は言語、右脳は空間に関係すると考えられています。

失語症のメカニズムを説明するときには、聴理解を司る部分(ウェルニッケ野)、発話を司る部分(ブローカ野)という基本の理解があり、流暢性失語をウェルニッケ失語、非流暢性失語をブローカ失語というのが失語症を学んだ人たちの共通認識になっています。

情報共有としてそれらの用語を用いることは有効だと思いますが、訓練のことを考えた場合、果たしてそれだけの認識でいいのか疑問に感じていました。

 

そもそも、ヒトが言語を用いるようになる前から右脳、左脳は存在しており、言語を扱うために左脳ができた訳ではありません。言語の特性が左脳の機能に適していたため、自然と左脳が言語野となったのです。

 

では、左脳の本質的な役割は何なのか?

 

それは、継時処理です。継時処理とは時間軸に沿って順番に処理していくものです。それと対となるのが同時処理で情報を1つのまとまりとして処理するもので、これは右脳の役割です。

 

話言葉の特徴として、最初の文字から1つずつしか発することしかできません。そのため、継時処理が得意な左脳が適しています。文字の場合は、逐次読みで1文字ずつ読む場合は継時処理ですが、意味のある語をひとまとまりに読む場合は同時処理が得意な右脳が適しています。

 

そのように考えると失語症というものを言語野の障害と捉えるのではなく、継時処理の障害であると考えると見方が変わってきます。

 

失語症の特徴として、挨拶などの常套句は流暢にしゃべれるけど、復唱してもらうと非流暢になるという自動性意図性の乖離というものがあります。

継時処理・同時処理の仕組みで考えると、「おはよう」という言葉は一塊で認識するのもであるので同時処理が優位に働きますが、復唱になると「お・は・よ・う」と最初の文字から1文字ずつ発するため、継時処理が優位になりエラーが生じやすくなると考えられます。

 

歌唱も同様で、メロディー全体で認識するため同時処理(左脳)が優位に働き、失語症者でも流暢に歌うことができます。リズムは取れているが、歌詞の細かい部分で誤ってしまうのは、継時処理(左脳)の障害によるものです。

 

失語症を言語の障害として考えるだけでなく、継時処理の障害と捉えると見えてくる世界が変わってくるのではないでしょうか。

 

 

ファクトフルネスから考えるリハビリ2 単純化本能

ファクトフルネスというベストセラー本から言語聴覚士(以下ST)のリハビリについて考えていきます。今回紹介するのは「単純化本能」です。

これは、シンプルなものの見方に惹かれるというものです。賢い考え方がひらめくとわかったと興奮し他の考え方が頭に入ってこない、すべての問題は一つのやり方で解決できるといった状態です。

 

STの臨床場面でもそういうことはないでしょうか?

1つのやり方に固執していると、効果が出ている時はいいですが、効果が出ない時に修正が効かなくなります。理論上正しいやり方だったとしても、相手は機械ではなく人間なので、性格や能力などによりそのやり方に対して向き不向きがあります。

相手の状況に対して柔軟に対応する必要がありますが、一つのやり方しか知らないと臨機応変に対応することは難しいです。そのため、リハビリ内容を複数用意しておく必要があります。このブログでは、失語症訓練として複数の方法を紹介しています。こんなにも必要ないと感じるかもしれませんが、患者一人一人にあったリハビリを提供するためにはストックが多いに越したことはないでしょう。ストックが豊富であれば、反応がいまいちだった時に違う方法を試して最適なものを提供することができます。

 

 

 

ファクトフルネスから考えるリハビリ1 分断本能

ファクトフルネスというベストセラーの本があります。これは貧困や教育など世界情勢を正しく見る方法が書かれていて、言語聴覚士(以下ST)の仕事とは関係ないように思えます。しかし、データを正しく読み取るというところには共通点があると思います。今回は、ファクトフルネスをもとに正しくデータ(検査・観察場面)を正しく捉える術を数回にわたって考えていきたいと思います。

今回紹介するのは「分断本能」です。これは、世界は分断されているという思い込みのことで、貧困問題でいうと世界は富裕層と貧困層の二極化しているという考え方です。

 

失語症検査のSLTAで考えてみましょう。SLTAは回答に対する結果を6段階に分類していますが、グラフを作成するときに6,5段階の正答できたものだけを記載します。

惜しい回答があってもそれは正答にはなりません。逆に全く答えられない場合も正答ではないので2つは同じ結果(段階)になります。もちろん、部分正答で段階が上がる場合はありますが、部分正答には条件がありそれ以外は認められません。間違い方は人それぞれ異なるため、惜しい回答をしても不正解と判断されてしまう場合があります。マニュアル化するためにはこのような単純化は必要で個別事例を考慮していてはらちがあきません。だからと言って、マニュアルだけに従っていても症状の本質を見ることはできません。検査を受ける多くの人たちは正解と不正解の間に分布しています。どういう誤り方をしたのか、回答している時の様子はどうだったかなど様々な要素を考慮して判断しなくてはいけません。そのため、気になった反応や気付いたことがあれば記録する必要があります。

正解不正解の二極化された結果に反映されない部分にこそ、リハビリのヒントが隠されています。

 

 

 

数をこなせばよくなるか? 桑田流練習法から考える

巨人で活躍されていた桑田真澄さんが、ピッチャーの打撃練習の取り組み方について興味深いことを話されていました。桑田さんは、ピッチャーとして優秀な成績を収めていますが、バッターとしても投手による打率ランキングで歴代1位とのことです。

ピッチャーである以上打撃練習に割く時間は限られています。桑田流の打撃練習は、打球方向・角度を宣言して打つというものです。例えば、一塁方向にゴロを打つ、センタにフライを上げるなどです。宣言した通りに打てなければ試合では使えず、ただ闇雲に1000本素振りするべきではないと言われていました。

 

リハビリでも同じことが言えると思います。リハビリに熱心で書けない文字をノートにびっしり何度も書いている方を見かけることがあります。これだけ熱心に取り組んでいるのだから症状が良くなるのではと思うのですが、実際はあまり変わらないことが多いです。これは、先ほどの1000本素振りと似ています。ただ闇雲に量をこなせばいいというものではありません。何かを行う前に一度頭の中でシミュレーションし、実際に行った行為と予測したものが一致しているかどうか検討する。ビジネスでよく使われているPDCAサイクル(計画、実行、検証、改善)でリハビリを行うことが大切です。一方で、情報処理を速くする目的であれば次々と数をこなす練習が有効です。

 

例えば、呼称訓練を行う場合、目的に応じてやり方が異なります。

正確に言うことに重きを置いているのなら、一度頭の中で復唱してそれから言葉を発するというやり方がいいかもしれませんし、正しく表出できるが表出までに時間がかかる場合は、素早く何度も反復して呼称訓練を行うやり方が有効かもしれません。

根本的な原因が何かを捉えてそれに対してリハビリ内容を検討する必要があります。

手の行為と言語行為

言葉を発することができない人は手話を用いてコニュミケーションを取ることができる。しかし、手話失語というものがあり、失語症になると手話にも障害が生じコミュニケーションが取れなくなる。手の行為と言語行為は共通点が多いように思う。

ある学会で印象に残っている言葉がある。

 

一方の手と他方の手

一方の手が機能するために他方の手が行為を行う

一方の手が行為を行うその間に他方の手も行為を行う

片手だとできないものも両手で行うとできることもある

左手が空間を作り境界を定めてくれる

そうすることでより身近な空間になる

 

例えば、文字を書くとき、左手で紙を抑えることで紙が安定する。それは、これから行う書くという行為を安定して行える領域を作り出すことで、右手の行為(書く)がスムーズにいく。行為を行っているのは右手でありどうしても右手の行為に注目しがちだが、その右手の行為をスムーズに行うためには左手による空間作りが必要なのである。

言葉も同じことが言えるのではないかと思う。左脳に言語野が存在しているため、左脳の動きだけに注目しがちだが、その言語を操るためには右脳の空間把握が必要である。以前ブログでも書いたように言語は空間の一部である。言語を適切に扱うためには自分の扱える言語空間を定めて安定させなければならない。