失語症学の発展に向けて

言語聴覚士に役立つ書籍や考え方を紹介していきます

失語症の理解障害を考える

失語症の理解障害は、どういうメカニズムなのでしょうか?

前回、失語症は継時的処理の障害という話をしました。理解障害も同様です。

情報処理が追いつかずに理解できないのが失語症の理解障害です。

単語だと理解できても文になると理解できないのもそのためです。

 

私は学生時代の病院実習で、聴覚的理解の訓練として、6枚の絵を見せて2つや3つを同時に聞かせて選択してもらう方法をしていました。

その時に、実習先の先生にこのように指摘されました。

「絵を提示したまま聞かせると1つずつ目で追ってしまって純粋に聞いてもらっている間は絵を隠して、聴き終わってから絵を見せて選択してもらった方がいい」

その時は、何の疑いもなく納得してしまいましたが、果たしてその方法が正しいのでしょうか?

失語症の理解障害を記憶障害と捉えるとその方法が正しいかもしれません。しかし、情報処理の問題であるならば、隠して聞かせるのは難易度が高すぎます。

 

私の担当している失語症の方に上記のような絵を見せたまま複数の単語を選択してもらう課題をしていますが、1つだけの時は誤りなくスムーズに答えられているのに、選択する数が増えると途端に答えられなくなります。

しかも、その後1つだけ提示して答えてもらおうとするとそれもできないことが多いです。先ほどまで躊躇なく答えられていた課題ができなくなっているのです。

この現象は記憶障害だけでは説明できません。なぜそのようなことが起きるとかというと情報処理が追いつかずフリーズしてしまうからです。一旦時間をおいて同じ課題をするとまたできるようになります。

 

日常会話は理解できるのに課題の指示は理解できないのも情報処理の影響が考えられます。

日常会話のやり取りはパターン化しており処理を行う必要はあまりありません。しかし、課題の指示は普段聞き慣れない言葉で全てを正確に捉えなければならず処理する情報が多くなります。一度処理が追いつかずフリーズしてしまうと、その後いくら繰り返し聞かせても処理できないので理解できません。また、一度誤った情報に正しい情報を上書きするのにも情報処理が必要です。

 

単語は理解できるのに文章が理解できないのは、一見聴覚的把持(記憶)か意味障害の問題のように感じます。しかし、理解できることもあれば理解できないこともあるのは、記憶や意味障害では説明しづらいです。処理が追いつくから理解できる、処理が追いつかないから理解できない。そのように考えると訓練内容も変わってくるでしょう。

 

 

失語症は言語の障害か?

失語症は言語野の損傷により生じるものです。一般的に左脳は言語、右脳は空間に関係すると考えられています。

失語症のメカニズムを説明するときには、聴理解を司る部分(ウェルニッケ野)、発話を司る部分(ブローカ野)という基本の理解があり、流暢性失語をウェルニッケ失語、非流暢性失語をブローカ失語というのが失語症を学んだ人たちの共通認識になっています。

情報共有としてそれらの用語を用いることは有効だと思いますが、訓練のことを考えた場合、果たしてそれだけの認識でいいのか疑問に感じていました。

 

そもそも、ヒトが言語を用いるようになる前から右脳、左脳は存在しており、言語を扱うために左脳ができた訳ではありません。言語の特性が左脳の機能に適していたため、自然と左脳が言語野となったのです。

 

では、左脳の本質的な役割は何なのか?

 

それは、継時処理です。継時処理とは時間軸に沿って順番に処理していくものです。それと対となるのが同時処理で情報を1つのまとまりとして処理するもので、これは右脳の役割です。

 

話言葉の特徴として、最初の文字から1つずつしか発することしかできません。そのため、継時処理が得意な左脳が適しています。文字の場合は、逐次読みで1文字ずつ読む場合は継時処理ですが、意味のある語をひとまとまりに読む場合は同時処理が得意な右脳が適しています。

 

そのように考えると失語症というものを言語野の障害と捉えるのではなく、継時処理の障害であると考えると見方が変わってきます。

 

失語症の特徴として、挨拶などの常套句は流暢にしゃべれるけど、復唱してもらうと非流暢になるという自動性意図性の乖離というものがあります。

継時処理・同時処理の仕組みで考えると、「おはよう」という言葉は一塊で認識するのもであるので同時処理が優位に働きますが、復唱になると「お・は・よ・う」と最初の文字から1文字ずつ発するため、継時処理が優位になりエラーが生じやすくなると考えられます。

 

歌唱も同様で、メロディー全体で認識するため同時処理(左脳)が優位に働き、失語症者でも流暢に歌うことができます。リズムは取れているが、歌詞の細かい部分で誤ってしまうのは、継時処理(左脳)の障害によるものです。

 

失語症を言語の障害として考えるだけでなく、継時処理の障害と捉えると見えてくる世界が変わってくるのではないでしょうか。

 

 

痙攣性発声障害を克服した一例

 

声が出しづらい症状が出始めて16年ほど経ちます。人生の半分この症状と付き合っていますが、その16年の間どのように痙攣性発声障害と向き合ってきたのかお話していきたいと思います。あくまで私の症状で成果があっただけで、他の方に効果があるかどうかわかりません。一つの参考としていただければ幸いです。

 

まず私がこの症状になり考えたのは精神的なものでした。気の知れた人と話す場合はそんなに症状が出なかったですが、大勢の人の前で話したり、緊張する場面になると途端に声が出しづらくなります。そのようなことがあり、心療内科を受診し、精神安定剤を処方してもらったのですが、全く効果がなくむしろ余計声が出しづらいなりました。

 

言語聴覚士の養成校に入ったころ、ホームページでたまたま見つけたのが「ボイスリッチEX」というサプリメントでした。これは、歌手や教師のような声を頻繁に使う方のサプリメントとして売られていたものです。藁にもすがる思いでこのサプリメントを注文し試しました。最初は効き目を感じなかったですが、数週間すると声が出しやすくなった気がしました。この時点ではまだ良くなった気がするというだけで確信はありません。値段が高かったこともあり、一時飲むのを中断しました。数日するとまた声が出しづらくなったのです。プラセボ効果のような薬の効果ではなく精神的なことが影響しているのではないかとも思ったのですが、飲むことをすっかり忘れて意識していなかった時も、なんか声が出しづらいなと思って思い返してみるとボイスリッチを飲んでいなかったということが何度もありました。そのため、プラセボ効果ではなくサプリメントの効き目だと考えました。それらの考察に至るまでには数年かかります。その間、飲んだり飲まなかったりする時期が続きました。大勢の前で話さないといけない時などここぞというときには飲むようにしていました。

 

私にとって痙攣性発声障害の軽減にこのサプリメントは大きな役割を果たしていましたが、それだけでは不十分で他にも何か別の方法を考えないといけませんでした。

 

大学時代、私はカラオケにハマります。最初は飲み会の2次会で歌う程度でしたが、ある時歌の練習で一人カラオケをした時によりはまってしまいました。歌を歌っている時は声の出しづらさは軽減し気持ち良く声を出すことができました。また、一人で歌うと周りを気にすることなく変な声が出たとしても誰にも笑われることなく気兼ねなく歌うことができます。長い時は一人で4時間ぶっ続けで歌っていました。すると、先ほど紹介してボイスリッチを飲んでいない時でも声が出しやすい気がしました。この時も気がするだけで明確に効果があるとはわかりませんでしたが、2ヶ月ぐらい歌わないとまた声が出しづらくなり、カラオケすると声が出しやすくなりました。ここで厄介なのが、歌ってすぐに効果が出るのではなく、歌った直後は声が枯れて逆に声が出しづらくなり、それが治ってくる1週間後ぐらいから効果が出始めるということです。そのことに気づくのも数年かかります。そして、カラオケも数曲歌うだけではダメです。2時間は連続して歌い、声が枯れてしまうぐらい大声で歌う必要があります。音声治療の基本として大声を出しすぎないというものがありますが、私の症状に関しては限界以上に声帯を動かす必要がありました。一度声が枯れて非常に歌いづらくなる時がありますが、そこを乗り越えると不思議なことに声が復活しました。注意点としては、無理やり声を出すのではなく、正しい発声法で長時間歌うことです。巷に多くのボイストレーニングの本が販売されているのでそれらを参考にして下さい。

 

以上2つが私にとって効果が大きかったものですが、それ以外も効き目がありそうなものがあったので簡単に紹介していきます。

 

3つ目は運動です。社会人になってランニングを趣味で行うようになり、声の調子が良くなりました。ランニングを習慣にしている間は気づかなかったですが、サボり気味になった時に声の調子が悪くなって、ランニングが効果あるのではないかと思うようになりました。

 

4つ目は体の柔軟性です。私は肩周りを含め体が硬かったのですが、筋肉が柔らかくなると声帯の動きも良くなるのではと思い柔軟を取り入れるようになりました。結果、良くなった気がします。

 

5つ目はカルシウムです。牛乳を飲んでいる時と飲んでいない時で声の出しづらさに変化がある気がしました。カルシウムは筋肉を動かすために必要な栄養素でありそのことが影響しているのではと考えています。

 

以上5つが私が痙攣性発声障害に効果があると感じたものです。気がするという言葉が多かったと思いますが、それは5つの事柄が相互作用しているので、どれが影響しているのか分かりづらかったためです。しかし、これは16年という長い期間をかけて自分の体を実験台にして導き出した結論です。

現在は、カラオケを2週間に1回行くようにし、肩や頸部の柔軟、牛乳を毎日飲むことを習慣化したことでボイスリッチを飲まなくても声の出しづらさは少なくなりました。ボイスリッチのデメリットは値段が高いところがあり、それが必要なくなったのは大きいです。

 

5つに共通しているのは、声帯の筋肉を動かしやすくするというものです。痙攣性発声障害の治療法としてボツリヌス注射というものがありますが、それも筋肉の緊張を和らげるものです。いかにして声帯の筋肉の緊張を和らげスムーズに動かせるかそれが重要です。

ここに挙げたもの以外にも方法はあるかもしれません。そして、この5つを試したけど効果が出なかったというものもあるかもしれません。

一人ひとり効き目には個人差があると思いますが、どういうときに声が出しやすく、どういうときに声が出しづらくなのか自分の体で観察していくことが大切だと思います。たとえ、医者からそんなのは効果ないよと言われても自分にとって効果があると感じたものは信じていいと思います。医者の言う効果ないとはあくまで現在の医学でわかっている範囲内のことで絶対的なものではありません。

この記事が少しでも声に悩む人たちの助けになることを祈っています。

 

 

 

 

 

 

言語聴覚士になったきっかけ 痙攣性発声障害との戦い

 今回は、私が言語聴覚士になったきっかけを話していこうと思います。

まずは高校時代に遡ります。私は高校で軽いいじめに遭っていました。その影響で吃音のように出だしで吃るような症状が出始めました。特に人前で話す時や緊張した場面になるとその症状は強くなります。このことは今でも親に話していませんし、周りにも自らそのことをほとんど話していません。辛かったですが生活に支障が出るほどではなかったことや、変な心配をかけてはいけないと思ったため話していません。

高校卒業後は言語聴覚士とは関係ない農学系の学部に入ります。大学2年生の時にこのままではダメだと思うようになり、ようやく心療内科に行きます。なぜ心療内科かというと、独り言や歌を歌っている時には声は出やすく、緊張すると出しづらくなるという症状から精神的な問題だと思ったからです。病院に行ったのは、この症状を治したいという思いもありますが、病名をつけて欲しいという思いの方が強かったです。病気であると分かれば自分の問題ではなく病気のせいにすることができるからです。しかし、病院では何の病名も告げられることなく、精神安定剤を処方されただけでした。でもこの薬を飲めば少しは症状が和らぐかもしれないと思い薬を飲み始めましたが、全く効果が出ず、それどころかより声が出づらくなりすぐにやめてしまいました。今まで病院に行かなかったのは病院に行ってもどうせ治らないだろうと期待していなかったからですが、実際に何の解決にもならないことがわかりがっかりしました。

そんな時にたまたまテレビで専門学校のCMが流れていました。そこで初めて言語聴覚士というものを知りました。CMでは名前が紹介されていただけでどういう仕事をするのかわからなかったですが、インターネットで調べてみるとコミュニケーションに関するリハビリ職で発声のリハビリにも携わるというものでした。普通だったら、その言語聴覚士に相談しようと思うかもしれませんが、私は言語聴覚士になって自分のこの症状を治すぞという気持ちでした。

そして、大学卒業後言語聴覚士の養成校へと進学します。言語聴覚士になるために様々なことを学びわかったことは、どうやら自分の症状は内転型痙攣性発声障害ではないのではということでした(外転型、内転型の2種類あり、内転型は声帯が必要以上に閉じてしまい声が詰まったり、声が震えるという症状があります)。この症状は珍しい障害で音声外来などの専門的な病院でないと診断されないものです。はっきりとした原因はわかっておらず、治療法としてはボツリヌス注射を声帯に打つ方法があるようですが、必ずしもこれでよくなるとはいえず、効果が出たとしても定期的に注射を打たなければならないというものでした。

当時私が住んでいる地域には痙攣性発声障害を診断できる専門的な病院がなかったため、結局音声外来に通うことは当分なかったのですが、あることがきっかけで音声外来に行くことになります。

ある日、特別講師としてこられた先生が音声障害の教科書を執筆される著名な方で、私の声のことを知っていた担任の先生が、授業の後に特別にその先生に診断していただけることになりました。これでようやく病名がわかる(この時も治ることを期待していません)と期待してその先生の元へ行きました。しかし、結果といえばはっきりとした原因はわからず、一度専門の病院へ行ってみてはどうかということでした。

その一言でようやく重い腰が上がりました。まずしないといけないことは紹介状です。音声外来のある病院は紹介状がないと診てもらえない大きいところだったので、まずは地元の耳鼻咽喉科で紹介状を貰う必要があります。そこで、紹介状を貰う目的だけで家の近くの耳鼻咽喉科へ足を運びました。そこではファイバースコープで声帯を観察したり、問診が行われました。声帯の器質的な問題はなく予想通りそこでも明確な病気についての言及はありませんでした。音声外来に受診したいから紹介状を書いて欲しいと伝え紹介状を手に入れました。そしていよいよ音声外来を受診することとなります。高速バスで片道3時間ほどかかるところで、往復の交通費もばかになりません。でも、これで私の悩んで病気の正体が明らかになる(この時も治してもらえるという期待はほとんどしてません)そう思いながらバスに揺られようやく到着します。紹介状があったにも関わらずかなりの時間待たされました。そして、いよいよ診察となります。最初は声帯の観察のためファイバースコープを鼻から入れられます。声帯が少し痩せているかもねと言われましたが、病気になるほどではないとのことでした。その後は特に特別なことはされず問診になり、私は病気になってから自分の症状で感じたことを話しました。そして、この当時唯一効果があると実感していたあるサプリメントについても先生に伝えました。それは、試行錯誤して色々試した結果、効果を実感できるものでした。用意したパンフレットも見せてどうでしょうかと尋ねました。その時に言われた先生の言葉は今も忘れもしません。私にとって屈辱的なものでした。

「そんなものは意味はないからやめた方がいいよ」

私が何年もかけて見つけ出し唯一声の悩みを和らげることができたものを少しパンフレットを見ただけで「意味がない」と一蹴されたのです。結局、そこでも明確な病名を診断されずすぐ診察は終わりました。時間と労力を無駄にしただけでしたが、私は決意します。必ず自分の力でこの症状を克服してみせる。今までも医学に期待してませんでしたが、あの一言があってからその思いが明確になりました。ある程度音声障害について学んだからこそ音声治療の限界もわかっていました。自分の体を実験台にしていろんなことを試していこうと思いました。日により声が出しやすい時と出しづらい時があり、その差は何が影響しているのか日々考えました。サプリメントもその結果の一つです。そして月日が経ち、言語聴覚士として今年8年目になります。色々試してきた結果、若干声の出しづらさは残っていますが、ほぼ問題ところまで回復しました。今でもあのサプリメントは有効だと感じており最近まで欠かさず飲んでいました。そしてついにそのサプリメントを飲まなくても症状が出なくなり、ようやく治ったという段階までたどり着きました。

この話をブログに書こうと思ったのは、私が16歳から約15年間格闘してきた戦いに一つの終止符を打つことができたからです。そして、どのようにしてその戦いに勝つことができたのか皆さんにお伝えしたいと思ったからです。その方法は医学的根拠については不明です。サプリメントも医者から鼻で笑われたものです。しかし、私にとって今でもかけがえのないものです。自分の体を実験台に試行錯誤の上たどり着いたもので、私にしか効果のない方法かもしれませんが、私のように声に悩んでいる人のお役に立てればと思っています。

次回、その方法についてお伝えします。

 

 

ファクトフルネスから考えるリハビリ2 単純化本能

ファクトフルネスというベストセラー本から言語聴覚士(以下ST)のリハビリについて考えていきます。今回紹介するのは「単純化本能」です。

これは、シンプルなものの見方に惹かれるというものです。賢い考え方がひらめくとわかったと興奮し他の考え方が頭に入ってこない、すべての問題は一つのやり方で解決できるといった状態です。

 

STの臨床場面でもそういうことはないでしょうか?

1つのやり方に固執していると、効果が出ている時はいいですが、効果が出ない時に修正が効かなくなります。理論上正しいやり方だったとしても、相手は機械ではなく人間なので、性格や能力などによりそのやり方に対して向き不向きがあります。

相手の状況に対して柔軟に対応する必要がありますが、一つのやり方しか知らないと臨機応変に対応することは難しいです。そのため、リハビリ内容を複数用意しておく必要があります。このブログでは、失語症訓練として複数の方法を紹介しています。こんなにも必要ないと感じるかもしれませんが、患者一人一人にあったリハビリを提供するためにはストックが多いに越したことはないでしょう。ストックが豊富であれば、反応がいまいちだった時に違う方法を試して最適なものを提供することができます。

 

 

 

ファクトフルネスから考えるリハビリ1 分断本能

ファクトフルネスというベストセラーの本があります。これは貧困や教育など世界情勢を正しく見る方法が書かれていて、言語聴覚士(以下ST)の仕事とは関係ないように思えます。しかし、データを正しく読み取るというところには共通点があると思います。今回は、ファクトフルネスをもとに正しくデータ(検査・観察場面)を正しく捉える術を数回にわたって考えていきたいと思います。

今回紹介するのは「分断本能」です。これは、世界は分断されているという思い込みのことで、貧困問題でいうと世界は富裕層と貧困層の二極化しているという考え方です。

 

失語症検査のSLTAで考えてみましょう。SLTAは回答に対する結果を6段階に分類していますが、グラフを作成するときに6,5段階の正答できたものだけを記載します。

惜しい回答があってもそれは正答にはなりません。逆に全く答えられない場合も正答ではないので2つは同じ結果(段階)になります。もちろん、部分正答で段階が上がる場合はありますが、部分正答には条件がありそれ以外は認められません。間違い方は人それぞれ異なるため、惜しい回答をしても不正解と判断されてしまう場合があります。マニュアル化するためにはこのような単純化は必要で個別事例を考慮していてはらちがあきません。だからと言って、マニュアルだけに従っていても症状の本質を見ることはできません。検査を受ける多くの人たちは正解と不正解の間に分布しています。どういう誤り方をしたのか、回答している時の様子はどうだったかなど様々な要素を考慮して判断しなくてはいけません。そのため、気になった反応や気付いたことがあれば記録する必要があります。

正解不正解の二極化された結果に反映されない部分にこそ、リハビリのヒントが隠されています。

 

 

 

数をこなせばよくなるか? 桑田流練習法から考える

巨人で活躍されていた桑田真澄さんが、ピッチャーの打撃練習の取り組み方について興味深いことを話されていました。桑田さんは、ピッチャーとして優秀な成績を収めていますが、バッターとしても投手による打率ランキングで歴代1位とのことです。

ピッチャーである以上打撃練習に割く時間は限られています。桑田流の打撃練習は、打球方向・角度を宣言して打つというものです。例えば、一塁方向にゴロを打つ、センタにフライを上げるなどです。宣言した通りに打てなければ試合では使えず、ただ闇雲に1000本素振りするべきではないと言われていました。

 

リハビリでも同じことが言えると思います。リハビリに熱心で書けない文字をノートにびっしり何度も書いている方を見かけることがあります。これだけ熱心に取り組んでいるのだから症状が良くなるのではと思うのですが、実際はあまり変わらないことが多いです。これは、先ほどの1000本素振りと似ています。ただ闇雲に量をこなせばいいというものではありません。何かを行う前に一度頭の中でシミュレーションし、実際に行った行為と予測したものが一致しているかどうか検討する。ビジネスでよく使われているPDCAサイクル(計画、実行、検証、改善)でリハビリを行うことが大切です。一方で、情報処理を速くする目的であれば次々と数をこなす練習が有効です。

 

例えば、呼称訓練を行う場合、目的に応じてやり方が異なります。

正確に言うことに重きを置いているのなら、一度頭の中で復唱してそれから言葉を発するというやり方がいいかもしれませんし、正しく表出できるが表出までに時間がかかる場合は、素早く何度も反復して呼称訓練を行うやり方が有効かもしれません。

根本的な原因が何かを捉えてそれに対してリハビリ内容を検討する必要があります。