失語症学の発展に向けて

言語聴覚士に役立つ書籍や考え方を紹介していきます

言語聴覚士になったきっかけ 痙攣性発声障害との戦い

 今回は、私が言語聴覚士になったきっかけを話していこうと思います。

まずは高校時代に遡ります。私は高校で軽いいじめに遭っていました。その影響で吃音のように出だしで吃るような症状が出始めました。特に人前で話す時や緊張した場面になるとその症状は強くなります。このことは今でも親に話していませんし、周りにも自らそのことをほとんど話していません。辛かったですが生活に支障が出るほどではなかったことや、変な心配をかけてはいけないと思ったため話していません。

高校卒業後は言語聴覚士とは関係ない農学系の学部に入ります。大学2年生の時にこのままではダメだと思うようになり、ようやく心療内科に行きます。なぜ心療内科かというと、独り言や歌を歌っている時には声は出やすく、緊張すると出しづらくなるという症状から精神的な問題だと思ったからです。病院に行ったのは、この症状を治したいという思いもありますが、病名をつけて欲しいという思いの方が強かったです。病気であると分かれば自分の問題ではなく病気のせいにすることができるからです。しかし、病院では何の病名も告げられることなく、精神安定剤を処方されただけでした。でもこの薬を飲めば少しは症状が和らぐかもしれないと思い薬を飲み始めましたが、全く効果が出ず、それどころかより声が出づらくなりすぐにやめてしまいました。今まで病院に行かなかったのは病院に行ってもどうせ治らないだろうと期待していなかったからですが、実際に何の解決にもならないことがわかりがっかりしました。

そんな時にたまたまテレビで専門学校のCMが流れていました。そこで初めて言語聴覚士というものを知りました。CMでは名前が紹介されていただけでどういう仕事をするのかわからなかったですが、インターネットで調べてみるとコミュニケーションに関するリハビリ職で発声のリハビリにも携わるというものでした。普通だったら、その言語聴覚士に相談しようと思うかもしれませんが、私は言語聴覚士になって自分のこの症状を治すぞという気持ちでした。

そして、大学卒業後言語聴覚士の養成校へと進学します。言語聴覚士になるために様々なことを学びわかったことは、どうやら自分の症状は内転型痙攣性発声障害ではないのではということでした(外転型、内転型の2種類あり、内転型は声帯が必要以上に閉じてしまい声が詰まったり、声が震えるという症状があります)。この症状は珍しい障害で音声外来などの専門的な病院でないと診断されないものです。はっきりとした原因はわかっておらず、治療法としてはボツリヌス注射を声帯に打つ方法があるようですが、必ずしもこれでよくなるとはいえず、効果が出たとしても定期的に注射を打たなければならないというものでした。

当時私が住んでいる地域には痙攣性発声障害を診断できる専門的な病院がなかったため、結局音声外来に通うことは当分なかったのですが、あることがきっかけで音声外来に行くことになります。

ある日、特別講師としてこられた先生が音声障害の教科書を執筆される著名な方で、私の声のことを知っていた担任の先生が、授業の後に特別にその先生に診断していただけることになりました。これでようやく病名がわかる(この時も治ることを期待していません)と期待してその先生の元へ行きました。しかし、結果といえばはっきりとした原因はわからず、一度専門の病院へ行ってみてはどうかということでした。

その一言でようやく重い腰が上がりました。まずしないといけないことは紹介状です。音声外来のある病院は紹介状がないと診てもらえない大きいところだったので、まずは地元の耳鼻咽喉科で紹介状を貰う必要があります。そこで、紹介状を貰う目的だけで家の近くの耳鼻咽喉科へ足を運びました。そこではファイバースコープで声帯を観察したり、問診が行われました。声帯の器質的な問題はなく予想通りそこでも明確な病気についての言及はありませんでした。音声外来に受診したいから紹介状を書いて欲しいと伝え紹介状を手に入れました。そしていよいよ音声外来を受診することとなります。高速バスで片道3時間ほどかかるところで、往復の交通費もばかになりません。でも、これで私の悩んで病気の正体が明らかになる(この時も治してもらえるという期待はほとんどしてません)そう思いながらバスに揺られようやく到着します。紹介状があったにも関わらずかなりの時間待たされました。そして、いよいよ診察となります。最初は声帯の観察のためファイバースコープを鼻から入れられます。声帯が少し痩せているかもねと言われましたが、病気になるほどではないとのことでした。その後は特に特別なことはされず問診になり、私は病気になってから自分の症状で感じたことを話しました。そして、この当時唯一効果があると実感していたあるサプリメントについても先生に伝えました。それは、試行錯誤して色々試した結果、効果を実感できるものでした。用意したパンフレットも見せてどうでしょうかと尋ねました。その時に言われた先生の言葉は今も忘れもしません。私にとって屈辱的なものでした。

「そんなものは意味はないからやめた方がいいよ」

私が何年もかけて見つけ出し唯一声の悩みを和らげることができたものを少しパンフレットを見ただけで「意味がない」と一蹴されたのです。結局、そこでも明確な病名を診断されずすぐ診察は終わりました。時間と労力を無駄にしただけでしたが、私は決意します。必ず自分の力でこの症状を克服してみせる。今までも医学に期待してませんでしたが、あの一言があってからその思いが明確になりました。ある程度音声障害について学んだからこそ音声治療の限界もわかっていました。自分の体を実験台にしていろんなことを試していこうと思いました。日により声が出しやすい時と出しづらい時があり、その差は何が影響しているのか日々考えました。サプリメントもその結果の一つです。そして月日が経ち、言語聴覚士として今年8年目になります。色々試してきた結果、若干声の出しづらさは残っていますが、ほぼ問題ところまで回復しました。今でもあのサプリメントは有効だと感じており最近まで欠かさず飲んでいました。そしてついにそのサプリメントを飲まなくても症状が出なくなり、ようやく治ったという段階までたどり着きました。

この話をブログに書こうと思ったのは、私が16歳から約15年間格闘してきた戦いに一つの終止符を打つことができたからです。そして、どのようにしてその戦いに勝つことができたのか皆さんにお伝えしたいと思ったからです。その方法は医学的根拠については不明です。サプリメントも医者から鼻で笑われたものです。しかし、私にとって今でもかけがえのないものです。自分の体を実験台に試行錯誤の上たどり着いたもので、私にしか効果のない方法かもしれませんが、私のように声に悩んでいる人のお役に立てればと思っています。

次回、その方法についてお伝えします。